とがったいわ

カテゴリ:雑記( 40 )

家の裏に花が咲いていた

各地の雪害についての話が入ってきますが、福井ではじめての冬は全然雪のない冬でした。

最近では少し日差しが暖かいと感じることも出てきて、今日生ゴミを久しぶりに外のコンポストに入れにいったら、コンポストからふわっとユスリカ?の群れが飛び立って、思わず後ろに退いてしまった。

ユスリカが飛んでいるところは少しだけ空気が紫に光っているみたいに見えてきれいだ。よく見ると普通にちっちゃい虫がいっぱいとんでるだけからちょっとうっとうしいし気持ち悪いけど。家の裏には青紫の小さな花も咲いている。(ちらっと見た感じはカキドオシの花っぽかったんだけど、あとでよく見てみようと思う。)

春最初に出てくる色は紫だったなー、とおもった。
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by pointed-rock | 2014-02-23 12:21 | 雑記

個展「とがったいわ」終了しました。

昨日、個展「とがったいわ」が最終日を迎えました。

暦の上では春も間もなく終わろうとしていますが、寒い日が続いていた中、お越し下さった皆様、ありがとうございました。

ギャラリー門馬は山の中腹にあり、最終日の前日まで庭に最後の雪が頑張っていましたが、その翌日には、もう見えない形になっていました。

「落花生の感触」という描いた落花生の総重量が100gになるまで左手につまんだ落花生を描く作品が、今回展示した中で一番古い作品になります。

この作品を制作した時点では、まだ「とがったいわーエエンイワー恵庭岳」のモチーフは私の中になかったので、今回の展示の中にこの作品を入れるかどうかについては迷うところもありました。

けれど、この作品を発表したときに、一枚一枚の落花生の絵に名前を付けてくれた女の子が、ずいぶん大きくなって昨日展示にきてくれて、やはり展示してよかったと思いました。この作品は形態があることによって、関係が起き上がることを最初に強く意識した作品でもあったからです。

「隣り合わせの二つの独房にいる囚人が壁を叩いて合図をする。壁はふたりを隔てると同時に、意思疎通を可能にもする。わたしたちと神も同じだ。いっさいの隔たりは絆である。」

と、この言葉はシモーヌ・ヴェイユの言葉なので、この中の「神」については私は語れません。作品をつくる動機を皆様に尋ねられる、その度にある程度一貫性はあるもののもやもやとしたその場なりの答えを出すのですが、今回は、ああ、この言葉だなと思ったりしました。

「とびらをひらく」というアボカドを分割する映像作品に関しては、一個の果実という充足した状態を分割することで、手の中で「私」と「あなた」にすることが一つの目的でした。アボカドを半分に割ると必ずどちらかに種が行き、どちらかが種のないくぼんだ形になります。どちらが私でもよいのですが、出っ張った方はくぼんだ方によって自分の形を知り、くぼんだ方は出っ張った方によって自分の形を知る、分たれることによってもう一度合わさることができる、しかし、同一の物にはもうなれない、なにかそういったことが起きていると感じました。

起きざまや寝入りばな、そうでなくとも、生産的なことをする気にもならず、布団の中でぼんやりしているとき、世界と自分とのコントラストが低くなって、自分が混じりあう粒の一つ、ピクセルの一つのように感じることが度々ありました。それでも自分が布団を押してそこに形態ができていること、何かしらの意識の寄せ集めによって、室内の模様の取り合わせがあること、といった力が働いていることを認識して我(秩序の世界)にかえる、そのことと、当時、支笏湖周辺の地形の歴史を調べていたときにでてきた、山を目印にして家に帰る、という行為のイメージが重ねて感じられた、布団山に関してはそのような時期の経験が強く影響しています。

私自身は、どこかにいる本当のあなたからは壁で隔てられていると感じます。でも時々壁のむこうからかすかなノックがきこえたと感じることがあります。自分にとって作品をつくることは、向こう側にいるのが本当のあなたである保証はなく、また、ノックではなく、ただちょっと肘がぶつかっただけかもしれませんが、耳を壁に集中させて、ノックがきこえるように返すことかもとおもいます。

結局、リアルには触れられない、感じられるのはリアリティーだけっていう話なだけなのかもですけど。

なにか、画像もないのに語りすぎた感もありますが、今回の展示では、ああ、そうだったそうだった、とそのノックの音を思い出す瞬間が何度かありました(ちょっと回顧展みたいになっちゃったけど得る物はあった)。このような場所を提供してくれたギャラリー門馬さんと、お越し下さった皆様重ねて、本当にありがとうございました。

展示写真は追々、ブログにアップしていこうと思います。
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by pointed-rock | 2013-05-12 11:11 | 雑記

鳥/カニの外子の夢

金曜、土曜の夜とギャラリー門馬に泊り、制作。とても大きな絵を描いています。5畳弱くらい。

ようやく門馬さんの間取りや空気を覚え始めました。どういうわけかやることは沢山あるのに無性に眠くなり、何度かの買い出し、制作する時間以外は普段より長く寝ていました。

寝覚めで印象に残っている夢が二つあって、一つは部屋の隅に三つ、見覚えのある虫かごがあり、その中で、飼っていた鳥(茶色と白のまだらの鳥、羽が青く光る鳥、灰色のとても小さい鳥)がえさをもらえず死んでしまっている夢です。

それだけの夢であればちょっと後味の悪い夢というだけなのですが、何ヶ月か前に見たはずの夢で飼いはじめた鳥だったので、不思議な気持ちになりました。

こんなふうに、だいたい、飼っている動物を死なせてしまう夢である場合が多いのですが、夢が夢の世界の時系列で繋がっていることが時々あります。前の夢とつながった夢を今みていたのか、それとも、今以前見たはずの夢をみた記憶を即座に作り出したのか、夢を夢として、自分を自分として自明のものとして捉えることが難しくなる瞬間です。

それにしても、世話をしようにも夢の中では自分の意思で動物のいる部屋にいけるわけではないので、理不尽な罪悪感。定期的にこのような夢を見るせいか、それともそういった気持ちがあるのでこのような夢を見るのかわかりませんが、動物を飼うことには抵抗というか、恐怖心があります。

先月くらいに、猿の農場からとても大きな白猿を盗み出す夢をみたのですが、意外と、あの猿は死なせないような気がします。

あとは、もう一つ、今日は昼間に急に眠くなって、寝ていたら会社の飲み会の夢をみました。
なにか、ものすごくぼろぼろのコンクリート壁で、黄色っぽい蛍光灯のところでゆでたカニを食べようとしていて、馬鹿みたいに外子(カニの体内の卵)が入っていました。よし食べるぞ、というところで、意識が半分起きていたのですが、食べたら起きられなくなると思って必死に起きました。

これはちょっとペルセポネがザクロを食べて地上に戻れなくなる話みたいで気になりました。カニとザクロはちょっとにてるし(私の夢は全然叙情性がないし、磯臭いけど)。

今晩は何日かぶりに自分の部屋で寝ます。
なんとなく、私の部屋が私の部屋ではないみたいに感じます。
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by pointed-rock | 2013-04-07 23:35 | 雑記

「とがったいわ」

「とがったいわ」は、
卑近な日常から出発しつつ、跳躍しつつ、したつもりになりつつ作品を制作したり発表したりしていく生活についてのブログです。
「えにわ的なもの」について考えたり、支笏湖、支笏火山について、具体的なものと抽象的なものをいったりきたり。
(2012年9月3日、最新改編)

恵庭市および、「えにわ的なもの」について考えたり、支笏湖、支笏火山について考えたりから出発しつつ、大半は日々の抽象的な思考や、見聞きしたことについての、ブログ、日記のようなものです。
(2011年1月27日)

更新者:
森本めぐみ
1987年12月14日生まれ恵庭市出身。
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by pointed-rock | 2012-09-03 16:38 | 雑記

近況6月27日

近況。
2012年上半期は何かと予定を入れすぎだったな・・・というのが雑感。
必然性を自分で感じられる忙しさなら、問題ないんだけど、残念ながら。消耗が激しかった。

忙しいとか、そういうつもりじゃなかった、とか、そういうことを言ってしまうような機会であれば、持たない方が良い。
・・・ということはだれにいわれるまでもなく、自覚はしているわけで。
全てのことについて、持続可能性を考えたい。やめたくなるようなことはしないようにしたい。


下半期は、年明けに本州で企画している、北海道の作家のグループ展があり、自分も出品するけど、人を誘う側になるのははじめてなので、ちょっとこちらに、集中します。やらないこととやることを選ぶのが、整理、やることに段取りをつけるのが整頓。(耳が激痛)

北海道(恵庭)に住むのも、あと1年くらいになりそうなので、個人的な総括としても頑張りどころかなと思います。移住してもまあ、自分の中のどっかは変わりなくここに留まる気はしますが、案外、自分は薄情だから、ちょっとわからない。

数代前に北陸からこちらに移り住んだ先祖のことを引用して、移住についてや、また遡行するように北陸に移り住もうとする自分と、見知らぬ当時の「お嫁さん」のすれ違いをぼんやり考えることもあるけど、結局、AIR DOとSNSが私にはある、っていうのも便利な現実だし。(でも北陸にいくのは東京の倍くらい、お金がかかる。お金は距離を伸縮する。)

便利な現実ですら、ままならないことは多いもんだ。なんとも。
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by pointed-rock | 2012-06-27 00:25 | 雑記

布団山、終盤です。

1回目、2回目とトークにきてくださった皆様、ありがとうございました。

何かと奔放に振る舞ってしまい、つくづく、自分の落ち着きなさをおもいしったりなんだり。

1回目の真砂さんとお話しした視点やスケール感の切り替えの話と、2回目に石倉さん、小坂さんとお話しした時のナンに対するフェチズム?からの布団山につながる、ある存在の残したエネルギーの痕跡の話、セットで布団山についての解説になるという、なんとも遠回りのトークでしたが、それぞれに面白かったとのお声を頂けてよかったです。

さて始まった時は3週間もある、と思った個展ですが、あと三晩を残すばかりです。

なんだか、今回の個展は、(もちろんいつもそうなのですが)色々な縁ある人たちが観に来てくれて、これまで自分にとっては平坦な場所にあった関係の人の生がぐっと押し出されて伝わってきたりもして、個人的には色々、テーマと相まって面白いなあなどと、感じています。

27日金曜日までですので、お忙しい日々とは思いますが、是非みていただければ・・・と思います。

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『あらゆる感覚を通じて、宇宙を感じとること。このとき、それが快楽となるか、苦痛となるかはどうでもよい。永い間会わなかった愛する人とめぐりあって手をにぎりあったとき、きつくにぎられて手が痛かったとしても、それがなんだろう。』

(「重力と恩寵」 シモーヌ・ヴェイユ 田辺保訳)

大学を出て、就職して、今の仕事をしていて、一番最高なのは今までよりヴェイユの言葉が入りやすくなったことだなあ。。

救いとかではなくて、それこそ、てこのように、なりつつあるような気がする。

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母校絡みの展示ですが、次の展示のお話が決まりそう。面倒くさいプランを相談したところ、心のイケメン的対応がかえってきたため、過去作品のブラッシュアップではあるのですが、頑張らざるを得ない気持ちです。(

昨年は構想が最後までまとまらずに断念したコンペも、だしたいのだけど、次回もコンペ自体があるのかどうか・・・

若干欲張りがちではありますが。とりあえず個展はあと3日なのでぜひおこしください。
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by pointed-rock | 2012-01-25 00:52 | 雑記

3日くらい絵を描いていなかったりする。
思いっきり袋小路に入ってしまって、一瞬にして全てが無価値になったような気持ち。
色々と自分をだましていたのがバレて、絵を描きながら気持ちが冷えていくような感じだった。

昨日は夢の中からぼこっと出てきたみたいな時間だった。

今もまだ何かをつかんだような感じはないのだけれど、何が気持ちの嘘で、それが制作上の嘘かは少しはっきりしたような気がする。本当はあまりやりたくないことを色々とやっていたりしてね。

心を逆なでないように言葉ないしイメージを使う日々と、暴風の夜中の冷たい海みたいに心を逆撫でするような中の、そこだけ音の深すぎて聞こえないような黒々した深い渦みたいな時間とがあって、一晩で白髪になってしまったような気持ちで、(実際昨日は全くの無能だった。普段は普通の無能なのに。)夜中じゅうキーボードを叩いて、うちに帰って布団に入った。

夢の中で、なんだかニコニコしながら、キラキラした喫茶店みたいな場所でインタビューを受けていて、「夢の中からぼこっと出てきたみたいな時間だった。」と昨日のことを話していて、起きたらそのことだけ覚えていたのが変な感じだった。
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by pointed-rock | 2011-12-20 21:15 | 雑記

迷子

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完璧に絵の中で迷子になっている。
もっと理性的に物事をすすめたいんだけど、そもそもそれじゃあ本末転倒か。

個展まであと1ヶ月を切りました。何かと歯ぎしりの日々。狭い心。乾かし棚が満杯・・・

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by pointed-rock | 2011-12-18 15:04 | 雑記

制作メモ

スプーンをつくりはじめました。
のこと鎚をふるっております。
道具を使って道具ができるって、普通なんだけど不思議な感じ。

海の水がなぜ塩辛いか、の話。
調節できなくなった富が水の味を変えた話。

なんだか、秋の空気になってきてしまって、少し慌ててもいます。
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by pointed-rock | 2011-09-09 17:33 | 雑記

メモ/晴れ間の日

朝から、最近にしては珍しく元気で、久しぶりに化粧をして出かけました。
でも汗で落ちた。暑かったですね。

OYOYOの、アーティストインレジデンスの成果展。
トオンカフェで本田征爾さんの個展。

本田征爾さんが、まぐろ調査の仕事で撮影した海洋生物の写真をみながら展示を観ることができたのが,良かった。人のものを観る目とか、経験の蓄積についてもやもやした。

レジデンスの作品は良かったけど、最終的な作品そのものより、むしろ経過の方がレジデンスの成果としては観たいなとか、観客として素朴に思ったり。トークに行けばよかったでしょという話なのかもしれないけど、展示場所のOYOYOの雑多さに対してちょっと情報量が少なかった気がしました。好みの問題なのかな。

近代美術館の穂積さんに図録を頂きました。
「パサージュ:フランスの新しい美術」「クロッシング・スピリッツ/カナダ現代美術展1980-94」
一度しかお会いしたことがないのに,図々しくも。

90年代自分が何をしてたか考えると、私はそのとき,3歳から13歳だったわけで。
(年賀状とかかいてた。)
聞き知ったようなつもりになっても、これが現在として進行していたその雰囲気まではつかめないんだよな,と。
やっぱりどこかで、中には「古典」として、ある意味、神聖視して捉えている作品もあったりして、もやもや。
ヤナ・スターバックとか。
(でも、実は好きなんだ・・・90年代美術・・・)
テキストとかまだほとんど読めてないのでじっくり読みます。

その後,テンポラリーで竹本英樹さんの写真を観ました。
写真と絵で、観方が違いますかね?と竹本さんに聞かれて、違いますね、といったけど、どこがどうちがうのかなと、帰り道すがら考えて、川を観るのと、海を観るのとくらい違う、というのを考えつきましたが、あまりにも片言すぎるので保留です。
8ミリフィルムから起こしているとおっしゃっていましたが、そういう意味でも、竹本さんの作品からは、より、川的な感じをつよく受けました。

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上から見下ろす目、大きな山と小さな山

へそ

呼吸

スプーンーすくうー運ぶ

海が見つからない。

嘘をつくこともいとわない。

寝転がれるリズムで。
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by pointed-rock | 2011-09-04 20:38 | 雑記