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とがったいわ

思い出したこと/げす

岩見沢の居間展の最中、ライブのために展示を一度ひきはらわなくてはいけない日があり、
ちょうどその日、件の最初の地震がきて、翌日展示をもう一度やり直すときに
紙吹雪の籠を引き上げるのをしばし迷ったことがあった。
最終的には引き上げてそれはもちろん最終的にはそうなるべきだったけれど、
そのとき籠をあげるのが怖いと思ったことはとても得難い経験だった。

以前、似顔絵を描いて、小金を稼いでいたことがあって、
そのときお客さんできてくれたあるお若い方が
風の噂でそのあと何ヶ月後かになくなったという話を聞いたことがある。

件の地震の起きる以前にもしらない場所で理不尽を感じて苦しんでいる人がいっぱいいることは知っていることだったし、知っているからといって、いつでもその人たちのことを考えて自分が生活しているわけではないことも、前からわかってるし、
ただ、ずっとそこにあったけどみえなかったものがまた、みえるようになったな・・・、と思う。

友人や先輩や後輩の芸術に携わる人たちが何かしよう、芸術の力で何かできないかっていうので、チャリティーイベントとかをやっていて、私は参加とかはしないけど、あんまり否定はしない。
こっち(家も街も無くならなかった)にいる私たちが私たちのためにすることとしては、効果あるかもなと思う。
そういうのやってみて、何か「こういうこともできる」とか「なんか違う」とか自己発見するようなチャンスというほどにしか、私の人間性からは捉えられないけど,でもそういうことも大事だと思う。
ただ、これを機に「芸術ってこんなにみんなの心を助けるんですよ」っていうアピールだと、ちょっとかっこわるいから逃げたい。

さしあたっては,芸術家の責任とかを召還したり,そういうことで召還されないように,気をつけようと思った。
別に地震の件でっていうことだけじゃなく。
ここに生きてる時間は自分の時間だから、本当にそこでやっていいのか自分の心が一見合理的とは到底思えないような理由で迷ったときでなければ、普段のことや普段からいいと思ってる価値観を止める必要はないし,何か迷うことがあったら止って戻ってもいいだろうと思った。

ところで、もう春なのに古着のコーデュロイのジャケットを買った。
その1000円は募金じゃなく,コーデュロイのジャケットに使った。先週はサンドイッチを買い食いしたり、友だちとお酒を飲みにもいったし,おいしくて楽しかった。
しかし、実家暮らし。
普通に楽しく暮らしているだけで,善良であるだけで,どこかの誰かの神経を逆撫でできる、と,楽しいときにいつも思うことです。だって、私はそうだもん。
そして,金の使い道の正解がやっぱり私はわからない。
と,選挙前にして思う。


みんな,家の前の雪山をくずして,広げて、雪がなくなるのを手伝っていたから,
放物線のグラフで春が来るような,そんな感じ。
外で誰か、ロケット花火を飛ばしてる。
by pointed-rock | 2011-04-09 17:38 | 雑記